京アニテロを越える(3) 「ポスト京アニテロ」をめぐる言論

●「ポスト京アニテロ」をめぐる言論

ぼくが一番声を大にして言いたいのは、「犯人探し」ではなく、この筆舌に尽くしがたい悲しみと絶望をどのようにして克服していくかである。また、地下鉄サリン事件などの無差別殺人テロを複数経験しながら、それでもなんとなく「安全」という安心感のあった平成が過ぎ、もはや安全など幻想であるという事実を突きつけられた令和の日本において、我々はいかに生きるべきか、ということである。それには、医学における対症療法と予防医学の両方の見地から考える必要がある。


対症療法的見地としては、犯罪者に対しては刑罰が相当する。しかしこれは法学の領域であり、ぼくの専門外であるからここで言及するのは控える。また、被害者に対しては被害者保護が相当するだろう。被害者報道の是非の問題もあるが、あまりに問題が多岐に渡るため、これもここでは一旦触れないことにする。なお、再犯防止の方策については、龍谷大矯正・保護総合センターの浜井浩一センター長の以下の記事がとても示唆に富んでいるので参照されたい。

 

「踏みとどまれる社会を」 京アニ事件きっかけに考える 龍谷大教授インタビュー(47NEWS)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190818-00000001-yonnana-soci


ここでは予防医学的見地から何ができるのかについて、考えてみたい。ぼくが懸念しているのは「無敵の人」の増加にある。失うものが何もない人は殺人やテロに抵抗がない。その気持ちは痛いほどよくわかる。他ならぬぼく自身が「無敵の人」予備軍であるという自覚もある。(ぼくはテロを起こす口実も気力もないけれども)


ひとつ気にかかるのが、ロスジェネ問題である。青葉真司は41歳。世代のど真ん中である。青葉がロスジェネ特有の不利益を被っていたのかは今の段階では何も言えないので、短絡的に結びつけるのは危険であるが、根っ子の部分で繋がっているという確信がぼくにはある。


例を挙げよう。橋下徹氏は、青葉に向けて「一人で死んで欲しい」と述べた。極めて現実的な感想であると思う。誰が考えても無辜の民が犠牲になることか望ましくないことは当然である。当人が破滅を願っていたのであれば、被害は最小限なのが望ましいだろう。しかし、この思考こそが「無敵の人」を焚きつける最も危険な思想であると断言したい。正解は、「誰も死ぬべきでない」のである。まず社会全体がコンセンサスとしてその発想を共有しない限り、安全な社会などまず実現は不可能だろう。

 

5月に発生した川崎通り魔事件で、藤田孝典氏の提言が物議を醸したことは記憶に新しい。藤田氏は「死にたいなら一人でという発言を控えて欲しい」という主張をしたが、ぼくの考えもこれに近い。遺族感情を逆撫でしているとか、そもそも凶行を起こすような人間には通用しないといった批判が多く寄せられた。確かに「一人で死ね」という発言を控えたところで京アニのテロを防ぐことはできなかったと思う。しかし、「誰も死ぬべきでない」と社会全体が考える土壌と、そのシステムを作ることが凶行を未然に防ぎ、安全な社会への近道となるとぼくは思う。それは性善説的な理想論かもしれない。しかし、近しい人が無事でいさえすればよい、知らない人に対して「一人で死ね」と言い放つ先に安全な社会が実現するとは到底思えないのだ。ロスジェネ問題も含めた、福祉という観点から考えるならば、社会民主主義的な方向性が望ましいのかもしれない。ただ、ぼくは政治については言及はしたくない。もっとミクロな視点から少しでも安全な社会が実現できないかを考えたい。


東浩紀氏は、京アニ作品に通底する「やさしさ」をキーワードとして挙げた。

 

 

東浩紀京アニ事件には憎悪ではなく穏やかなやさしさを」〈AERA〉(AERA dot.)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190807-00000017-sasahi-soci

 

 

気鋭の批評家としてはいささか緩いコメントだが、あいちトリエンナーレの件で疲弊しているのだろう。落ち着いたらもっと強靭な論を展開してもらいたい。行間を読み取ると言わんとしていることはよくわかるし、同意できる。少なくとも憎悪に憎悪で立ち向かうことは何らよい結果を生まないことは歴史を紐解けば自明である。


また、怒りという観点から、我々が怒りをうまく制御していくことを提言しているのが、元DV加害者という特異な経歴を持つカウンセラー・中村カズノリ氏である。

 

 

京アニ放火への怒りから抜け出せない」私たちにいま必要なアンガーマネジメント術

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190804-00013240-bunshun-soci

 

 

ここでは怒りを分析して感情のベクトルを変える具体的な手法が述べられている。それは被害者支援のみならず、加害者を未然に防ぐことにも有効であるように思える。また、第三者である我々がニュースを通じて刺激される怒りを制御することにも役立つだろう。