日本新聞協会「実名報道に関する考え方」批判

 私が京アニ事件について、時系列を追った報道のあり方と、その姿勢についての批判をしてからはや2年以上が経つ。容疑者の青葉真司への刑事裁判は遅々として進まず、その間に世間はコロナという大きな災禍に見舞われ、事件はもはや人々の記憶から半ば忘れ去られようとしている。そこに、先日日本新聞協会が発表した「実名報道に関する考え方」という声明を目にした。京アニ事件にある程度深く足を突っ込んだ身としては見過ごす訳にはいかない。私はこの声明にじっくりと目を通し、あれから報道の倫理は変わったのかどうかについて注目することにした。

 

実名報道に関する考え方」日本新聞協会

https://www.pressnet.or.jp/statement/report/220310_14533.html

 

 内容については実際に各々目を通して頂けると幸いである。ここでは5つの観点からQ&Aで日本新聞協会としての見解を述べている。私はその主張の要約とそれに対する批判を以下に述べることにする。

 

Q1:なぜ事件の犠牲者を実名で報じるのですか?

(要約)

  殺人という社会的不正義について、社会で情報が共有され、論じられていくことが不可欠である。その情報の伝達や記録を行うことは報道機関の責務である。そして、被害者の名前を共有することは人々に他人事と思わせず議論を促す力になる。(だから実名報道を行う。)

  以下具体例、2012年の無差別殺人についての New York Timesの報道、2006年海の中道の飲酒運転死亡事故で家族を失った父親が写真を報道機関に提供した話、1999年桶川ストーカー殺人事件の被害者両親が講演等で事実を訴え続けた話、沖縄戦阪神大震災の記念の刻銘の話。

(批判)

 話の流れに対して批判的視点を持たずに読み進めていくと、なんとなく共感しそうな文章である。しかし、聡明な読者の方はもうお気づきかと思うが、この文章は「意図的な問題の摺り替え」を行なっている。犯罪についての事実を広く知らしめることの重要性、そして報道機関がその責務を負っていることに異論はない。しかし、実名報道を行うことについての必然性については巧妙に無視されている。その後の怒涛の具体例の列挙で、あたかも実名報道が必要不可欠であるかのような印象を読者に与えようとしているが、「報道機関が被害者家族の意向を無視してまで実名報道を強行すること」とは何ら関係ないことに気づく。

 要するに、以前から問題の本質は「報道機関が実名報道を行うこと」ではなく、「報道機関が被害者家族の意向を無視して実名報道を強行すること」の是非なのである。言い換えれば、知る権利とプライバシー権の対決である。私が知る限り、京アニ事件の一連の報道のなかで、新聞社やテレビ局は「我々は特権を与えられた機関である。だから我々においては知る権利はプライバシー権に優越する」という傲慢な姿勢を横並びで取っていた。笑止千万である。

 報道機関は特権階級ではない。ましてや個々人がSNS等で情報を発信できるようになった現代に於いて、マスコミだけがプライバシー権を侵害してまでも報道をすることが可能だという強弁に誰が肯首しようか。一言で言おう。これはマスコミの時代錯誤な特権意識からくる驕りである。法的にはともかく倫理的に許されるはずがない。

 

Q2:遺族などの匿名希望は考慮していますか?

(要約)

  実名報道の必要性は社内でも悩みながら議論し、事件ごとに判断して行うようにしている。また、状況に応じての対応も行なっている。例えば、「繰り返し名前を見るのが苦痛だ」とする遺族の声が上がった際には当初は実名でもその後は匿名にする場合がある。

(批判)

 まず、「基本的に実名報道を目指す」という前提からして間違っている。実名報道はある面で有用な情報ではあるが、最優先されるべきは遺族や関係者の意向である。ましてや実名報道した後に匿名にするなど笑止千万である。知りたければバックナンバーを遡ればいいだけのことなのだから。ネットの情報拡散性について触れているが、それが解っているのならば一度ネットの世界に流出した情報はデジタルタトゥーとして二度と元に戻せないという現実についても周知のはず。にも拘らず、遺族の意向を後回しにしてまで実名報道を行うというスタンスが狂っている。

 そもそもマスコミの武器とは何か。情報の速報性と拡散性か? かつてはそうであったかも知れないが、個々人が発信者たり得る現代に於いてそれを人々はそんなものは求めていない。もし報道機関に現代的役割があるのだとすれば、情報の正確性と中立性であろう。それではカネにならぬという声が聞こえてくるような気がするが、そんなことは我々の知ったことではない。組織として個人に圧倒的に優越した取材力があるのだから、そのリソースを正確性と中立性に注ぐべきであろう。逆に言えば、それらを欠いた情報を垂れ流すマスコミになぞ何の価値もない。

 実名報道のやり方に話を戻すと、まずどれだけ時間と手間がかかっても遺族の意向を最優先させるべきである。そこには取材する側の誠意が問われる。混乱と悲しみに暮れる遺族の心に寄り添い、遺族が被害者について広く知って欲しいと願った瞬間に初めて実名報道が許されるのである。

 

Q3:実名の報道は報道側の利益のためではないのですか?

(要約)

  金儲けのためでは全くない。報道は人々の「知る権利」に奉仕することである。名前は個人が唯一の存在であることを物語るものである。ゆえに実名報道が必要不可欠である。

 具体例、2012年中央道笹子トンネル事故で娘を亡くされた父親の談話、1997年神戸連続児童殺傷事件の被害者父親の談話。

(批判)

  ここにも論理の飛躍があることに注目して欲しい。報道が人々の知る権利に奉仕すること、ここはその通りだが、その知る権利に実名報道は必要条件たり得る説明は一切ない。それは当然であろう、必然性がないのだから。あるのはマスコミのエゴのみである。

 百歩譲って、利益のためにやっているのではないという主張については一部納得してもよいかもしれない。特に現場に近い記者などは、ジャーナリストとしての使命感で動いているのも事実であろう。しかし、使命感や正義感ほど恐ろしいものはない。自らの行為を無条件に正当化してしまうからだ。例えば、内ゲバで何十人と殺した連合赤軍も使命感や正義感で動いていたことは想像に難くない。極端に言えば、当人の使命感や正義感は二の次三の次である。繰り返し強調するが、何よりも優先されるべきは被害者遺族の意向である。

 ちなみに、マスコミが右肩下がりに減収減益しているのは周知の事実である。世界一の発行部数を誇った読売新聞はピークの2001年の約1028万部から2020年には約776万部と25%近い激減をしている。

(https://www.otokunamiyateu.com/entry/yomiuri-newspaper)

  またフジテレビは約90億円の特別損失を計上してまで早期退職者を募っている。

(https://bunshun.jp/articles/-/51864)

  これらの事実が即ち実名報道に利益を求めている根拠とは言えないが、マスコミがかつての強大な力を失い、存在意義を問われていることは間違いないと言えよう。

 

Q4:犠牲者や遺族のプライバシーを侵害していませんか?

(要約)

 プライバシー意識の拡大によりプライバシーという言葉の定義が含まれる範囲も広がっているが、法的には、社会の正当な関心に応える内容などであればプライバシー侵害は成立しない。また、故人になるとプライバシー権は消滅する。(個人情報保護法も故人は対象外である)

 ところで報道機関は法のみを考えて意思決定している訳ではない。故人の尊厳や遺族の意向に配慮する必要がある。

 具体例、2008年の警視庁による「犯罪被害者に関する国民意識調査」では、プライバシーを侵害する報道がなされていると一般人の77%が回答したのに対し、被害者やその家族は3%に過ぎなかった。

(批判)

 幾分弱気な主張である。法的には故人にプライバシー権がないことに触れながら、だからと言って〜と留保をつけているところに、問題の本質はそこにないことをわかっているのだろうことが窺える。

 まず断言しておくが、これは法的な問題ではなく倫理道徳的な問題である。だから故人のプライバシー権のくだりは一切意味をなさない。一言で言えば、被害者家族に筋を通しているか否か、それだけの話なのである。通しているのならば何ら問題はないし、通していないのならばいくら錦の御旗を掲げようと実名報道は許されるものではない。

 警視庁のアンケートについても触れておく必要があるだろう。これは重犯罪(殺人・傷害、交通事故、性犯罪など)に関しての一般国民と被害者との意識の乖離についてのアンケートであり、実名報道の問題とも深く関わる資料なので概要に目を通すことをお勧めしたい。

 

【概要】

(https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/report/h20-2/pdf/gaiyou.pdf)

【報告書】

(https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/report/h20-2/index.html)

 

 注目すべき点は、「報道関係者からしつこく取材を受けている」「事件に直接関係のないプライバシーに関する報道をされている」の2項目について、国民一般と犯罪被害者に大きな乖離があることであろう。これは日本新聞協会の指摘の通りである。しかしながら、例え少数であろうとしつこい取材やプライバシーを侵害した報道をされていると感じた犯罪被害者がいる時点でアウトだと言わざるを得ない。これらはゼロでなければならない。

 また付け加えると、このアンケートの対象である「犯罪被害者」に交通事故犯罪などの、一般的に重犯罪と捉えられていない方々が多数含まれることにも留意が必要である。(交通事故犯罪においてしつこい取材を受けることやプライバシーを侵害されることがしばしば起こることであろうか?)

 

Q5:遺族などへの取材では、どのような配慮をしていますか?

(要約)

 いわゆる「メディアスクラム」については過去にも批判を受け、報道各社・新聞協会は改善に努めてきた。今では事件事故の発生直後に遺族が深い悲しみと混乱の中にあることを知っている。だからこそ適切な取材を心がけ、記事にする際にも最大限の注意を払っている。

 ところで、近年ネットでは匿名のアカウントによるデマや中傷が深刻な問題となっている。しかし名前が隠されなければならない社会が健全だとは思わない。報道機関として事実を正確に伝えることと公正さに努めていく。

(批判)

 メディアスクラムをしてはならないのは当然のことである。また、犯罪被害者の心に寄り添うこと、これも記者である前に人間として不可欠なことである。それを理解しているのならば、これからもそのままやればよい。

 だからと言って実名報道が無条件に許されることはない。(ここでまた問題の摺り替えをしていることを見逃してはいけない) 繰り返し述べるが、犯罪被害者の実名を(身内が望んでもいないのに)公表される正義など微塵も存在しない。メディアは特権階級ではない。言葉巧みに問題の本質から逃げようとしているが、「犯罪被害者(と家族)の許可なき実名報道はモラル面で全面的に許されない」ことのコンセンサスを一般国民の間に形成しておくことが不可欠である。

 

(終わりに)

 これらを踏まえ、私は日本新聞協会にこの批判に対する回答を要求することにした。私の批判に合理的な反論ができるのならば堂々とすればよい。しかし無視は絶対に許さない。発言力のある組織としての声明なのだから、責任を持って批判に対して誠実に回答するべきである。その後の経過については、また改めて発表していくつもりである。

 

 私はマスコミの横暴と徹底的に戦っていくことをここに宣言する。